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ぼやぼやぼやき

どうも。

いち人類です。

なにが正しくてなにが間違えてて、誰が言ってることが正しいのか自分が間違えているのか、そんなことわかってる人は一人もいなくて、自分の思い通りになっているか、なっていないかが唯一の判断材料で、自分の想いと違っていれば間違いで同じならば正しいってことです。

今日は雨が降っているから間違いです。

僕は晴れてほしかったから。特に理由なんてないですがただなんとなく晴れが良かったというだけ。

たぶんこの世の中はそんな風なただなんとなくでできていて、それを聞こえのいい言葉や表現、モラルや権利なんかが支配しているんだろうなと。

だから僕のこのなんとなくな文章も読んでいる人の心に響かなかったら間違いだし、共感してくれたら正しいわけで、その比率は確実にあるけど響いた人には正しいわけです。

それを否定することは無意味だし、ナンセンスで時間の無駄。

その人にとっては正しいから。ある人にとっては間違いだから

僕は毎朝テレビのニュースを見てきます。

いろんな情報を報道していて面白い。

見る人が興味をそそられるような内容ばかりで、誇張したり広げなくてもいいところまで話しを広げたり、面白がって報道している感じがしていいですね。

新聞とはまた違いますね。(ネットとも)

あれは一種のエンターテイメント番組でかなり偏った人達の目線からの報道かなぁなんて思ってみていたり、それに踊らされる僕らがいるからこそ成り立つわけで、需要があるからですね。

頭ごなしに否定するコメンテーターとか見るとすごいなぁと、自分の意見なのか知りませんがこんな表面上だけでここまで意見が言えるなんて。

僕たちに与えられる情報は常に平等なはずなのに知るすべを知らない。

情報は常にこの世の中に転がっているのに気が付かない、知ろうとしない、知るすべを知らない。

それはある意味幸せな事かもしれない。なぜなら善悪を自分の気分で決められるからだ。

表面上の甘い言葉につられていればそれを信じて生きていけるから、情報を知りすぎてしまうと本当に正しいものはなんなのかと模索してしまう。正しいものが自分の気分次第で変わることはなくなってしまうから、理論を持ってしまうから。

だから誰かが誰かのことを否定した時にきっとその人はまたどっかの誰かから否定されてて、人は決まって誰にも否定されたくないから、否定されない人と群れを作る。その群れの中では当然自分たちとは違う意見の人のことを否定して自分たちのことは正当化する。それを永遠と繰り返してく、

そうやって世界はまわってる。

というわけで

今週の僕のお休みの日は晴れてくれないかなぁ。というぼやきでした。

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