2019年8月17日
a.m 12:30頃
初期の陣痛と思われる痛みがあった
その間隔は次第に短くなり
数時間後には5分間隔を切るほどに。
a.m 4:30頃
かかりつけの病院に何度目かの電話(僕は寝ていたので回数はあやふや)
その電話の最中に破水
急いで病院に向かった
病院に向かう準備をしている間に
今までと比べ物にならないくらいの陣痛による痛み
歩くこともままならない、声を出すのも辛いほどに
30分ほどで病院につき診察後、すぐに陣痛室へ
妻は結婚する時から「子供は絶対欲しい」
「それもできるだけ早く」と日々、口にしていた
そのために結婚した、とも。
ただ、すぐに子供はできなかった。
結婚して1年ほどが経ち妻が仕事を辞めた。
理由はいろいろあるが、
時間が不規則な仕事から解放されて、これでようやく妊活に集中できると意気込んだ。
待ち望めば望む程、物事はゆっくりと進み長く永遠のように感じる
妻が仕事を辞めて数ヶ月が過ぎても僕らは子供を授かることはなかった
焦る気持ちから病院にも通った。
検査の結果、お互い可能性は0ではないが
子供ができにくい体質であることがわかった。
もちろん普通に過ごして妊活する手段もあったが
僕らが選んだ答えは
体外受精
不妊治療の中でも最後の段階とも言える決断だった。
そこからは慌ただしく時間が過ぎて行った。
通院を繰り返す妻
治療に対する知識を読み込む日々
僕ができることは少なくて
妻の支えになれているか不安な毎日だった
そして
その日は来た
受精卵は無事に育ち移植をして
ようやく妊娠の判定が出た。
通院を始めて実に半年以上が経とうとしていた時だった。
僕には到底計り知れない苦労があったと思う
とてつもなく長く感じた時間だったと思う
その結果を聞いて安心したのと
まだまだこれからの不安や心配も山積みで
少しも気をぬくことはできないでいた
数ヶ月が過ぎた頃
妻がつわりでまともに動くことすらできなくなった
食事もままならなくてつらそうにしていた妻が
「つわりで苦しいけどこれがお腹に赤ちゃんがいる証拠だからなんだか嬉しい」って。
めちゃくちゃ頼り甲斐がある妻だ。
臨月になる寸前までつわりは続いた
そして8月15日
順調に予定日を迎えることができた
でも
陣痛はまだ来ない
焦らずにゆっくり待ってとは言われていたが
心中穏やかではいられない
毎晩、まだかなぁまだかなぁと繰り返す
そんな予定日から2日後の午前12時過ぎ、
陣痛→破水→病院へ
陣痛室では落ち着いた話し方の助産師さんが一言一言僕たちを不安にさせないようにしてくれて
1分間隔で来る陣痛にテニスボールを使ってひたすら耐えていた。
a.m 7:30頃
助産師さんの診察にて少し慌てた様子で
「もう行こう」
と
想定していた2時間以上の速さで
分娩室へ移動となった
え、もう生まれるの??!
スピード感についていけない僕は
ただ部屋の前で待ち続けた
すると15分後
部屋の中から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた
一瞬戸惑った
だってまだ15分くらいしか経ってなかったから
病院だし別の部屋で生まれた赤ちゃんの声かとも思った
すぐに助産師さんが出てきて
「産まれましたよ!」
と
正直、思っていたのとだいぶ違った
何時間も十何時間も病院にいるのかと思ってた
2時間半だった
病院に着いてからその報告を受けるまでの時間だ
そして気づいたら産まれたばかりの我が子を抱いていた。
妻にもすぐに会えて会話もできるほど
もっとぐったりしているものかと思った。
そんな妻が小声でこう言った
「もっと痛いのかと思った」
本当にこの妻は本当に本当だ。
あの日のあの時に僕たちが決断したことが
今日、こうして形になって現れた。
それもとびっきり可愛くて
なによりも妻と僕の血を引いている
こんな奇跡みたいなことが本当に起こるのかと思うほどに
こんな僕が本当に人の親になれるのだろうかと
不安になったりもするけど
子供はそんなこと待ってはくれなくて
考える暇がないほどに忙しくさせてくれるはずで
気がついたらきっと少しは父親らしくなっているのかな
幸い
僕たち夫婦の周りには支えてくれる人がたくさんいます
全力で周りに支えてもらいながら息子の成長を見守っていたいと思います。
妻に感謝
生まれてきてくれた息子にも感謝
ここから全てが始まります
2019 8.17