綺麗な時間を意識的に作ってみる

そうそう。

この前あじさいを見に行ってきました。

神奈川県某所。

その日は朝から気温が高くて午前中からムシムシしていました。

6月の太陽を少しだけ侮っていました。

朝露などはすぐに蒸発してしまってキリッとした立派な紫陽花たち。

僕はいつも、自分の見えている景色を撮ろうとしてしまう。

だって「キレイだなぁって思ったから」しょうがない。

でも、写真に起こすとなぜか目で見てるよりも綺麗じゃない。

目で見た方が100倍綺麗で、「写真なんてつまんない。」とか思ってた。

でも、ある時からいつも見ている景色じゃないアングルからの写真を見て気が付いた。

「写真には見えている景色よりも綺麗に写る世界がある」

いつしかそれを追い求めるようになったけどセンスなくて成長してないw

そしてもう一つ、写真が僕に与えてくれたのは、

いつも見ていたけど気が付かないで通り過ぎてしまっていた景色。

人、花、雲、壁、石ころ、鳥、虫、星、風、そして月。

目ではもちろん見たことあるけどこんな風に考えたことってあるかな。

「どうやったらもっと綺麗に見えるかな?」

たったそれだけの感覚でどんなにこの世界がキレイに見えただろうか。

それまで見えていなかったもう一つの世界が開かれた様に僕の前に現れた。

いや、もともとあったものなのに気が付かなかっただけだった。

この日は初めてアジサイを撮りに行きました。

正直難しかったw

引いて撮ると花が小さく映ってなんだか味気ない。

近づいて撮ろうと思うと、上を向いているアジサイは下からのアングルで撮れない。

イコール。バリエーションが少なくなる・・・笑

なんか写真が上手そうなおじさんの後ろに立ってアングルを盗んでたんだけど、それも普通でありふれてた。

あぁこういうところが写真てむずかしいんだろうなぁとか一人でつぶやいたりしてた。

誰かが言ってた事を思い出した

「やらないとわからないよそりゃ」

って

やりたいって思っててもやってなければ進んでない。

やってみてわかる事の方が多いって事。

僕は初めてアジサイを撮ってわかったことがたくさんあった。

「あ、自分写真好きだな」

とかw

主役に目を奪われがちだけど脇役たちも好きな僕としては

ひとりでポツンと咲いている花には目がない。

石ころも大好きで。生き物とセットならなおいい。

少しだけ名残惜しそうな顔をしながらこの日は紫陽花をあとにしました。

ゆっくりとした時間。

自分を見つめ直せる時間。

少しだけどまた向き合えたのかな。

そしてまた季節が変わって綺麗な時間が世界を彩る。

また外に行きたくなる

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